映画界の巨匠「世界のクロサワ」

ー概要

 

国境や時代を超えて、当時の映画界に多大なる影響を与えた巨匠「黒澤明」の素顔に迫る。彼自身の作品からヒントを得た著名監督は少なくない。スピルバーグやルーカスも、その例に漏れず。彼がいっぱしの監督として、映画界の最前線を走り続けるパイオニアとして、1988年没後もその監督の名前が挙がるのは、彼自身の1つ1つの作品がハイクオリティに富んでいるからである。彼は、映画技法の1つである「ワンカット・ワンシーン」を生み出し、1カットを間に入れることなく動的なダイナミックさや規模感をいやというほど表現している。彼の作品は娯楽活劇が多く、殺陣やアクションシーンも多く盛り込まれている。

 

ー作風

 

彼自身、元は画家を志望していたが、途中である一件をきっかけに画家への情熱は冷めてしまい、映画のシナリオを手がける監督としての人生にその活路を見出した。自分が今何をしたくて、どう自分と向き合い、夢を定めていけば良いのか。その葛藤に悩んできた。そのため、彼の作品には節々に自伝的色彩の強いストーリーが盛り込まれており、彼自身の人生を映画という形で表現しているのだ。彼が80歳のとき、アカデミー賞授賞式でオスカー特別名誉賞を受賞した。参列者は、スピルバーグやルーカスなど彼の作品に影響を受けた名だたる名監督らであり、プレゼンターとしてオスカー像を黒澤に贈呈。その後も意欲的に作品を描き続けた黒澤だが、ある転落骨折をきっかけに車椅子生活になり、脳卒中のため死去。享年88歳であった。

 

ちなみに先に挙げた両監督は、新しい作品を作る前に必ず黒澤の作品を試写して、そのヒントをもとにプロットを組んでいくという手法をとっていた。そのためルーカスのスターウォーズ第1作目には、彼のオマージュとも言える要素が登場しており、作品へのリスペクトが強く感じられた。映画界の巨匠、まして日本のみならず全世界にもその名が知れ渡る黒澤の作品群。彼自身の作品の特徴としては、人の感情に訴えるようなシーンが多い。人の心を動かし、人を根本的に変えたい。WW2の敗戦後、日本国民は生きる気力を失い、退廃的環境に満ちていた。

 

そんな中、娯楽活劇として数々の作品を手がけ、多くの人々に訴えるようなメッセージを発信してきたのが「世界のクロサワ」こと黒澤明である。中には啓蒙的な作品もあり、戦後から復興までの間、いかにして人々は立ち直れるか、またそのためにはどうすればいいかなど、明確な問題意識にそのメッセージを深く落とし込んでいる。娯楽活劇など、当時では批判の対象であった。

 

戦後日本では、GHQによる従属的な支配が続いており、娯楽などお祭りムードに包まれるような出来事でも起これば、「こんなときにふざけんな!」と言われて蜂の巣にされるのがオチであった。その下馬評を覆し、戦後日本の復興や娯楽活劇の普及に大きく貢献したのが黒澤であり、それは彼自身の手腕もあったことだろう。まさに永遠の映画人であり、文化人でもある。今を生きる映画監督者は、黒澤明のスピリットを胸に刻んでいることに違いないだろう。