意見発信の場

ー概要

 

モノからヒト。ヒトからネットへ。IT化の波が押し寄せる日本では自分の意見を発信できる場所が少なくなっています。例えば、Chat GPT。前の項にも書きましたが、改めて説明するとChat GPTとは文字作成ツールの1つで、AIにあるお題を与えるだけであっという間に文章を完成させてしまう優れモノです。不動産やFCの立ち上げに必要な事業の見積もり計画書やExcelでの計算、税理士の決算書や契約書など、ある一定のフォーマット化された形式にはChat GPTの腕に勝るものはないでしょう。計算や記載漏れなど人為的なミスを誘発しやすい人間よりもChat GPTに頼んだほうがより正確性がある。そういう意味で画期的な発明だったのかもしれません。

 

ーChat GPTは使い所が試される諸刃の剣

 

しかし待ってください。AIに頼るのはあくまで自分の書き出した意見に補足を加えたり、契約書見積書等、ノウハウがある程度標準化されたものに対してAIに代筆を依頼したり、そういう場面だけです。例えば、自分好みの記事を書きたいときにテーマが浮かばない。よし!Chat GPTに頼もう!となればそれは危険です。自分の意見はオリジナリティ性や独創性、創造性があることが前提です。AIはまとまったネットの情報を一元化し、それをただ文章としてまとめ上げているに過ぎません。つまりネットから拾った情報をそのまま丸パクりしているだけなのです。ネットからの引用、要するに受け売りです。Chat GPT頼みになってる貴方、それ、ネット記事の盗用ですよ。著作権の問題はわかりませんが、ネットの情報を頼りに文字を作成してるだけに過ぎないChat GPTに文章を依頼するのはNG行為。自分好みの文章からは遠ざかり、むしろオリジナリティも個性もない、無機質な文章が完成してしまいます。

 

例えば、こういう場合はどうでしょう。歴史人物の生い立ちやその活躍について語るとき、どうしても年代や時系列がこんがらがってしまう。そんな場合にChat GPTに意見を足してもらってそこに自分の意見を続ける。そうすれば自分の意見も発信できて、なおかつミスや間違いのないちゃんとした文章が出来上がります。Chat GPTは要するに文章を補足するための意味合いが強く1から全部代筆を頼むために存在するものではありません。まっさらな状態から始めて、わからない部分があったらChat GPTに補助してもらう。いわゆる箸休め的存在であり、自分の意見や個性を色濃く反映させたいなら極力Chat GPTに頼るのはやめましょう。Chat GPTに頼りきる=自分の個性を殺してしまうということ。なら自分の個性を強く打ち出すために、Chat GPTの使用はある程度封印しましょう。「こういうときしか使わない」と、明確なシーンを設定すればAI依存症になることもなく自分好みの文章が書けるはずです。

 

ー学校へのChat GPTの導入

 

学校にもChat GPTを導入する案が出されて、思わず戦慄してしまいました。仮にも、教育段階である生徒たちに対してChat GPTを導入したら、生徒たちの考える能力、意識が全て失われてしまうんじゃないかと、そう危機感を持っています。朝読を義務付けている学校も、今度はChat GPTによるツールの利用に方向性が変われば子どもの思考を破壊してしまうことは間違いありません。子どもには創造性を持たせた自立的学習が必要なのです。自分で考え、行動し、実行する。その段階的な成長プロセスを踏むことによって、初めて自立的な行動を促したと言えるのです。Chat GPTはその真逆をいく存在。Chat GPTは子どもの思考を完全に麻痺させてしまう存在です。だからこそ教育現場にChat GPTを導入することには断固反対なのです。子どものより良い教育を促すために、従来型の教育(ただし詰め込みなどは置いといて)を継続してほしいものです。