ネット

ー概要

 

ネットの存在感。一昔前はアナログテレビやガラケーといった機器が主流でした。しかしSNSが2000代から次第に台頭し、タイムラグや回線遅れ等が一切ない高速のネットワーク化が進められ、家庭のみならず社内や学校にもLANを繋ぐネットワークが普及したためネットによる効率的な作業が可能になりました。

 

ガラケー覚えてますでしょうか。アラサー世代ならもちろんご存知ですよね。撮った写真を保存したりBGMを流したりメールを送ったり最低限の機能は備わっていましたが、今のようにYouTubeで動画を撮ったりLINEやTwitterによる不特定多数同士でのコミュニケーションはできませんでした。それを考えるとすごい進化です。

 

アナログテレビや薄型テレビ。それが次第に進化し、ハイビジョンテレビや4Kテレビ等ハイグレードな機能を備えたテレビが普及したため、画面や音の粗さが目立つこともなくなり、今や1世帯にテレビ1台は当たり前の時代となりました。電化製品にもAIが標準搭載されており、自動で1つのことをあっという間に完結してしまうすごい時代です。しかし当たり前の時代だからこそ失われてゆくものも多いです。例えば、スマホの急速な進化で何を人々を見失っているか。それを考えたことはありますでしょうか。

 

ー失われた人間の思考

 

最近ではAIによる進化は隆盛を極めています。Chat GPTをはじめとするAIによる文字作成ツールからGoogle検索によるモニタリング機能を備えたものまで各種様々。しかしChat GPTは文字による作成が安易になった分、自分で文章を書く機会が大幅に減るようになりました。確かにAIによる文字の作成は間違いがほとんどなく、総決算や会計処理、Excelの計算など人為的ミスを誘発しやすい作業にChat GPTはとても便利な存在でしょう。しかしそういった作業効率を図るものに対してはともかく最近では教育現場にChat GPTを導入しようとする学校が増えており危機感を募らせています。

 

それはなぜか。学校にAI”機器”を導入するのはかまいません。PCの扱いに慣れていない生徒たちが今後大人になって後悔しないよう、教育の過程でAIを組ませる作業は脳トレや作業効率の活性化につながりますし、最先端の情報技術を導入することを目指したICT教育の目指すところによって子どもたちの健全な思考を促すという意味でIT機器は有効活用できると言えるでしょう。

 

しかし待ってください。IT機器を導入するのはともかくChat GPTを導入するのはいかがなものか。本来AIは人の思考を助けたり補助するためにあるものだと私は勝手に定義しているので、人の作業を1つで完結してしまうChat GPTの話になると話がまた違ってくる。結局、AIに組み込んだ膨大な情報量に基づいて文章を作成しているだけに過ぎないので間違いやミスは当然ありますし、あってるとしても時代錯誤なネタが目立ったり何がなんでも完璧とは思わないこと。それなら人間の自由意思に基づく文章のほうがよっぽど骨がしっかりしてて温度が伝わってくる。そう思いませんかね?

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。