目的と努力

ー概要

 

ここんところ蒸し暑い日が続き、熱中症で倒れる人も多い。冷房を26℃に設定し、私は今、自分の部屋でブログを書いている。しかし、テーマが思い浮かばない。人生というスケールの大きいイベントを通して、自分は何を学んできたのか。あるいはどういう目的を見て、何を志しているのか。ブレない軸の強さを持ちたい。目的をはっきりさせたい。生涯にわたって、その人類最大のテーマである「目的」というものを、本稿では取り上げたい。

 

恐ろしいことに、定職にもつかず、ろくに働きもせずに「人生虚しい」とまでいってしまえば、社会の担い手となる労働者の皆様から総スカンを食らうことになるだろう。何も身構えず、ただただ人生という長いスケールを歩む。なんの目的も持たず、なんとなく惰性で過ごす。そんな経験を持って、私は今もブログを書いている。そもそも目的とは何か。これを深く掘り下げたいのだが、いかんせん私自身、目的の定義がいまいちわかっておらず、ありふれた一般論に終始してしまうだけなのだが、不本意ながらも是非参考にしてほしい。

 

ー目的とは

 

目的とは、”到達したい状態として意図し、行動を方向づけるもの”。狭義的に言えば、将来の夢や目標などを指し、自分のやりたいことを見つけてその方向性を決定する、といったもの。しかしそうはいうものの、目的の意味がよくわからない。何を持って目的とするのか。医者になることが目的?それなら、医学の資格を取得して、本格的に自分で病院を開業するか、出資会社が運営する総合病院に務めるしかない。それが目的ならば、その目的に至るまで多くの人的資源及びリソースを割くことになる。

 

医者の場合、1人でなれるわけではない。看護師や助産師、理学療法士や栄養管理士などの多様な分野にまたがるコメディカルスタッフらが結集し、病院を経営していく必要がある。1人で完結できる目的ならば、それに見合うだけの報酬は控えめになりがちだ。いや、報酬というよりは成果に近い。目的を果たすためには、”努力”というプロセスを挟む必要がある。努力には、ベストを尽くす・全力で取り組む・一生懸命にやる、という意味を含む。つまり目の前の課題に集中すれば、自分が決めた目的に一歩近づけるということだ。

 

努力と目的は同一視される傾向がある。努力は、いわば目的を果たすための舞台装置的な役割を担っており、極端な例で言えば、ブログなどのアフィリエイトの場合、”下書き”というものがこれに該当する。あらかじめ「書くテーマ・題名・段落・結論」という4つの点を定め、文章をより効率的に書くための下地を作り上げる。このプロセスにより、文章を完結させるという”目的”を達成することができ、ブロガーによってはそれだけで多く稼ぐ人もいる。努力なしでは目的というものは成立しない。むしろ、努力は目的を果たす上で重要な役目を担っている。そういう意味で、目的はあくまで自分が定めた最高レベルの目指すところ。そこに”努力”というプロセスを介し、徐々に最高レベルのグレードに近づけていくのだ。

 

ー努力には何が必要か

 

努力が継続できる万国共通の法則として、「そ・わ・か」の法則というものがある。そは「掃除」、わは「笑い」、かは「感謝」を表す言葉であり、この3つを大切にすることで、努力というものはいつまでも廃れることなく継続されるという。具体的に説明しよう。”掃除”は一見すると努力に関係ないように感じるが、そうではない。掃除という作業は、誰しもめんどくさいものであると思う(あくまで持論)。しかし、掃除には「心を綺麗さっぱりにする」という意味を含んでおり、要らぬ感情や過去のわだかまりを解放へと導いてくれる、素敵な行いだ。

 

努力は全てが「頑張る」「前向きに」というポジティブな印象とイコールに結びつくわけではない。ときに、不安や後ろめたい感情から、現実逃避してしまう例もあるだろう。例えば、先ほど挙げた医者。もし一生懸命に患者の救命及び治療にあたっていたはずの自分が、ネットの口コミ等で悪い評価を書かれていたら…。それは大変な自信喪失につながる。不安要素も材料の1つとして割り切れるほどの余裕があれば話は別だが、大体の人は目の前の仕事にやりがいを持てず頓挫してしまうだろう。そういうときは自分の持つマインドを大切にすることだ。マインドとは、一言で言えば”精神”である。よりよい精神を保つためには、ときに仕事から離れてほっと一息入れることも大事になってくる。掃除とはまさにこのことで、過去の不安や気持ちのズレなどを無償で修正してる大変素晴らしい自己投資行為だ。

 

ここまで掃除を挙げてきたが、笑いや感謝も同じということはもうお分かりだろう。笑いには、人を幸福にする力がある。これはミラーニューロンという神経伝達物質が自分の表情筋を伝って相手のほうにも行き渡り、意識してないのに自然と笑顔がサイクルされるという不思議な現象を起こすのだ。笑いを生む要素としては、ずばり”感謝”。何か助けてもらったら、とりあえず感謝の一言をあげること。ささやかな感謝でも、それが重なれば強烈な笑いの原動力となり、2人の間には幸せなサイクルが循環されることに。努力というのも、人の感謝や笑いあってこその前提である。1つのことにひたすら取り組んでも、そこに笑いや感謝という「ほっとする要素」がなければ長続きしない。笑いと感謝は、努力を生み出すもの。逆説的に言えば、努力は笑いや感謝なしでは成り立たない。常に不可分の存在にあり、目的を達成する上ではプライベートでの気持ちの変化をつけることも大事なのである。

 

ー最後に

 

ここまで拙い文章を読んでくれた方に敬礼。深くお辞儀をしたい。笑いや感謝が生み出す力は、努力というものを一層加速させる。思えば、努力とは「努」める「力」。「努める」には、先ほど挙げた3つの「掃除に努める」「感謝に努める」「笑顔に努める」など、期せずして共通のワードに結びつく単語であった。この奇跡的なトライアングルが重なり合い、努力という名の流麗な”琴線”を生み出す。まさに努力は、この3つの力が融合して成り立ち、目的に到達するまでの地盤固めを少しずつ行っていくもの。ときにつまづくこともあるだろう。そういうときは、「そ・わ・かの法則」を思い出してほしい。きっと人生でつまずいたときに役立つはずだ。