パッション屋良

ー概要

 

パッション屋良とは、お笑い芸人の1人。お笑い芸人は人気の浮き沈みが激しい仕事と言われているが、例えば1度組んだお笑いコンビの片方が「じゃないほう芸人」扱いされるとそのイメージを覆すのは難しい。そのため麒麟の川島は相方の人気が偏るにつれ、ソロでのコントを披露したり外番組を増やすなどして「じゃないほう芸人」の脱却を図った。結果、川島のイメージは再びお笑い路線へと復活。今では朝の情報番組ラヴィットのMCも務めるほどの敏腕コメンテーターだ。

 

少し話がずれたが、パッション屋良はピンでのお笑い芸人。しかし、最近は見ない日が多い。パッション屋良が左胸を強く叩いて笑いを誘う「ドラミング芸」が一世を風靡した時期もあったが、やりすぎると胸骨が折れるということで急遽ドクターストップがかかり封印。それ以降、番組への出演機会もめっきり減り、昔からパッション屋良を知る人にとってはもはや「あの人は今」状態であるという。

 

ーなぜ消えたのか

 

なぜパッション屋良は表舞台からぱったり消えたのか。ドラミング芸が痛みを伴う漫才だったため、当時のBPOの目が光る範囲で芸能活動を続けるのは困難と悟ったのか。あるいは本当に胸骨が折れかけて心不全等の病気に発展してしまったのか。それを知るよしはない。あまり触れたくないが、ネットで検索すると関連ワードに「⚪︎亡」と表示される。…しかしこれはとんだデマ情報でありネットのニュースによれば、沖縄県に再び軸足を移し、個人でのジムを開業したとの事。

 

そういえばパッション屋良はガタイがよく、胸骨も腹筋もバキバキに割れていた。あれだけ筋肉質の体をしているなら、それだけ痛みを伴うコントにも十分に耐えられたのだろうがコンプライアンスに厳しい芸能界ではそれすらも許されなかった。いや、正確にはBPOから直接お咎めがあったわけではない。痛みを伴うコントは、これまでにも腐るほどあった。(ゆーとぴあの「ゴムパッチン芸」、チャンバラトリオの「ハリセンチョップ」等)

 

しかし、これらはあくまで痛みを伴う漫才でありながらゴムやハリセンなどの小道具を使ったものだったので、なかなかに小気味いい演出となっていた。ところが直接体を張り、左胸をドンドン打ち鳴らす(あるいは叩く)芸はダイレクトに痛みを伴い、見てる側も目を背けたくなるものがあった。また、ドラミング芸は極端な話、腕と手さえあればできるもの。その身一つで成立するコントにはどこか面白みに欠けるところがあったのだろう。だからこそパッション屋良はこれ以上人気が出ないと悟り、表舞台から去ったのではないか。あくまで憶測だが、根拠としては十分強い。

 

ーその後

 

その後の活躍は不明。ネットニュースによれば、個人ジムを開業し、会員8000人を抱える大規模なトレーナーとして日々調教しているとのことだ。沖縄県に拠点を移し、芸能界は事実上の引退だろう。昔から知るファンとしては残念だが、そもそも芸能界とはそういうものだと思う。人気の浮き沈みを握るカギは、ずばり「他の芸能人にはないキャラや個性を出せるかどうか」である。

 

パッション屋良は確かに「ドラミング芸」という独自の漫才手法で道を開いたが、だからといって「ドラミング芸」と聞いてパッと「パッション屋良のことか」と思い浮かべる人は少ないだろう。実際、パッション屋良は他のお笑い芸人の個性に負けていた感がある。”ドラミング芸は一線を超えた漫才である”。その偏見に負けてしまい、これ以上人気が出ないと見るやいなや2度とドラミング芸を披露することはなかった。

 

でも待ってほしい。芸能界で生き残るには、そういった規模感やダイナミックさも必要なのである。特に左胸を強く打ち鳴らすシーンは他の芸人にはない豪胆さがあった。強い胆力で、かつ規則的リズミカルに胸を殴打(連打)する漫才はどこかユーモアがある。それを封印したのはなんとも勿体無い。個性に負けたのは、むしろ逆。自分で個性を殺してしまったのである。あのまま封印せず続けていたら、1つのお笑いの完成形として昔以上に人気が出ていたかもしれない。惜しい人材だった。