あらゆる正義

ー概要

 

正義とは何か。人類の普遍的なテーマである。倫理学にかかわってくる重要な単語なのだが、意外にもその本質は知られていない。なぜだろう。それは正義そのものを議論することに意味があるのか?という結論に最終的には帰結するからだ。詳しくは後ほど述べるが、″正義は立場によって形を変える″。これはONE PIECEの青キジの名台詞であり、立場によって形を変える正義はその存在理由を明確にするほうが難しい。「やめときな〜!正義だと悪だと口にするのは!」これは黒ひげの台詞であり、彼自身も正義という言葉に意味を持たせることはそもそも不可能だと説いている。

 

そのはず正義は人によって変わり、それぞれが燃え上がった正義感に基づいて「あれだこれだ」と主張しているに過ぎない。資本主義と共産主義の対立構造も、それを如実に表している良い例と言えるだろう。このように対立する2つの正義感は決して交わることのないものであり、永遠に決着がつかない。回し車のレールを延々と漕ぎ続けているネズミのようなものだ。では正義。これが一体どういう場面で発動され、どのように実行されるのか。詳しく見ていきたい。

 

ー決まった正義は存在しない

 

前述したように正義というのは人によって異なり、いくら自分の主張を押し通そうが理由をつけようがそれは単なる「主観的な正義」であり、個から共同体へ…を意識した「客観的な正義」とは異なるものだ。人それぞれの持つ正義は決まった形式を持たない。ゆえに、違う正義感をぶつけ合い喧嘩やトラブルになる。それを是正するために誕生したのが「矯正的正義」と呼ばれるもの。

 

「調整的正義」とほぼ同じ意味で、自分たちが持つ正義感のズレや方向性を矯正する、という目的で提唱された概念。具体的には、環境保護を推進するGreenpeaceがエネルギーの消費や稼働を抑えてほしい、と国民に訴えたとしよう。しかし国民は「こんな暑い日にも冷房をつけてはいけないのか!?」と反論。互いの相反する正義がぶつかり合い意見の収束は不可能だと見て、政府は「では、そういったエネルギー消費を抑えるため国民には省エネを意識した生活をするように、Greenpeaceには過度な環境保護を訴えるのはやめるように」と、お互いの反論を突き合わせる形で結論をまとめた。これこそが矯正的正義であり、反論する2つの間に入り仲裁に立って意見を取りまとめる役割を果たすのが「矯正的正義」。これはヘーゲルの提唱した「弁証法」にも近い考え方と言える。

 

ONE PIECEにおける正義のあり方は…

 

そういえば、ONE PIECEではコートに刻まれた正義という文字から連想して、一般的に「海軍が正義」「海賊が悪」という対立構造が生まれているが、これは大きな間違いである。海軍は「海賊の取り締まり」という正義の実行として様々な権限が付与されている。バスターコールの発動権が良い例だ。これは果たして正義と言えるか。否。正義そのものに意味を持たせることは不可能と言えるが、バスターコールはオハラの考古学者に対する砲撃で島ごと沈めた事件が記憶に残っている読者も多いだろう。これには当時徹底した正義をモットーにしていたクザンも戦慄を覚え、政府(というか赤犬)のやり方に次第に懐疑的な立場を取っていた。

 

読者視点で見ても、あれは血も涙もない無差別攻撃だった。そう映るのが自然だろう。赤犬は「空白の100年という歴史のもみ消しとそれを知る学者の殲滅作戦」という絶対的正義のもとに軍艦から砲撃の指示を出しオハラを一瞬にして沈めた。ここから分かるのは前述したように正義そのものを議論することはほとんど野暮に近いことだ。赤犬の行為を讃える人もいれば、やりすぎと非難する人もいる。まさにクザンの「正義というのは立場によって形を変える」の台詞の重みが伝わってくるシーンだ。

 

正義。それは実行する人の価値観に基づいたもの。そういう意味で「客観的正義」など存在せず、自分の感情の赴くままに正義を実行しているのだから、「主観的正義」と呼ぶほかにない。この徹底した正義を排し立場を変えたキャラが青キジことクザンであった。当初こそ赤犬に近い過激な思想を持っていたが、次第に自分の正義感に疑問を覚え、赤犬とパンクハザードで衝突したのは異なる正義感がぶつかり合った結果といえよう。その後、青キジは赤犬に敗北し海軍を除籍。遠い空の下でチャリを漕がせながら世界の成り行きを見守っている。赤犬は元帥に就任したが、赤犬は形を変えることなく徹底した正義感を貫いている。よく言えばブレない人であるし、悪く言えば自分の意見を曲げない頑固な人である。どっちが良いか悪いかはそれぞれの解釈に委ねる。

 

と、まあ長々と語ってしまったが、正義という議論そのものが不要ということはもうお分かりであろう。自分が持つ正義と、他人の正義は全く異なるものであり、それを等しくさせるのは不可能なのだ。どっちかが譲歩しない限りは、延々と不毛な議論が続くだけだ。皆それぞれ同じような正義感を持てば、戦争や喧嘩も存在しない。異なる正義感がぶつかり合い衝突するからこそ人間社会のテーマは永遠に尽きないのだ。