AIの恐ろしさ 人間の脳をじわじわ蝕んでいく

ー概要

 

雑誌…と聞くと何を思い浮かべますでしょうか。企業が発行する広報誌やパンフレット、コミックブームの火付け役となった週刊ジャンプ誌など、様々なジャンルの雑誌を思い浮かべるかもしれません。雑誌は、普通の厚みのある書籍や辞書などとは違い、冊子が薄いです。そのため、書かれている内容やボリュームも控えめ。この雑誌ブームが廃れ、今度はSNSという情報媒体をへて人々は有益な情報を得ることが可能になりました。それと同時に、読書離れが進み、図書館に入館する人の数もめっきりと減り、ここ数年で読書からSNS媒体への移行が顕著になってきています。

 

これは学校教育システムに原因があるとの見方が取れ、例えば学校のICT教育がそれにあたります。2008年のスマホリリースを機にDX(デジタルトランスフォーメーション)が進み、学校にもタブレットや情報端末などが次々と導入され、ますますIT化しています。しかし公教育にChatGPTを導入しようだとかプログラミングを2024年から必修にしようだとか、子どもたちの脳内IT化を急ぐために雑誌や書籍といった読み物をなくし、ITという分野だけに特化した教育は大変危険であると、私ははっきり警鐘を鳴らします。

 

というのも、ChatGPTは自動AI文字作成ツールであり、税理士や会計士などの士業者や金融銀行などの基幹系システムにもどの導入が叫ばれており、世界はますますIT化を極めようとしています。しかし書籍はKindleといった読み物をあたかも「IT化を妨げるもの」「負の遺産」「ITの足を引っ張るレガシー」といったような論説や批評が目につくようになり、私は大変戦慄を覚えました。IT化が進んだのは何が発展して、何から生まれたのか。まずはその基本に立ち返る必要があると思うんです。

 

ーITシステムがもたらした弊害

 

ITシステムが脆弱だった昭和(1980〜2000)では、主にガラケーといった小型端末を持ち、メールの送受信や写真の保存・挿入も全て1人で手動でやっていました。ところがChatGPTの存在は、それら基幹システムを大きく覆すAIによる自動化という形で文字作成ツールや画像の読み込み、データベースの運用など細かいシステムを一元化し管理できるようにしたのです。それは何を意味するか。ずばり「読み書きそろばん」能力の減退です。

 

人間はペーパーテストや定期考査で、紙による記述式問題から選択肢問題まで全て自分で回答していました。それは今でも変わりませんが、ChatGPTの登場により、そういったテストでいかにマイナスに作用するのか、事実検証という観点で行ったところ、その答えが透けて見えてきたのです。ChatGPTは自分で考えずにAIが勝手に文字を作成し、画像からリサーチしてそれを3D化したり、リバースエンジニアリングという挿入した写真から細かいデータベースや内部構造などをCTスキャンなどで検出し調べるといった精細な工程までをほとんどChatGPTだけで完結できるようになり、さらには数学や理系分野でも高速AIにより正しい計算をあっという間にこなしてしまう。その簡便さが大いにウケたのでしょう。

 

その数値的な精度の高さは尋常ではなく、東大模擬試験で首席を獲得したほどChatGPTのIQは超越しており、もはや人間ではとても届かない領域にまで達しています。それが何を意味するかはもうご存知ですよね。AI脳に侵され、AI頼みになっている人間は、いつしかAIに支配され、人間が作り上げたこれまでの技術はロストテクノロジー化し、企業や会社のほとんどの担当業務がAIに代替され、労働者の需要が減り、格差がますます広がる。そういう未来が容易に予測できます。もし同じ考えの方がいましたら、AIの持つ危険性の徹底した周知と拡散にご協力ください。

 

AI脳に慣れてしまえば、人間は考えない生き物となり従来のシステムは形骸化する。恐ろしいことです。もちろんAIの全てをなくせとは言いません。紙媒体による広報と、電子媒体による広報は両方あっていいと思いますし、複雑な計算や文字列を有する基幹系システムに関しては紙による業務よりも電子による業務のほうがいいとさえ思っています。よく企業が取引先と取り交わす契約書も、電子化すれば改ざんや偽装のリスクも減らせますし紛失の心配もありません。AIは使い所がまさに試される、諸刃の剣的存在なのです。