実存主義

ー概要

 

18〜19世紀の合理主義に対抗する形で登場したのが、いわゆるサルトルキルケゴールの提唱した「実存主義」だ。これまで、人間は定まった事物存在であり、それ以外の理由はないとする合理主義の思想的潮流が主であった。しかし、それに対抗したのがニーチェキルケゴールの「実存主義」だ。人間の価値を「実存」に置き換え、人間が持つアイデンティティや抽象的性格や概念、めまぐるしく変化する価値観など、心が移り変わる人間の本質的な点を、「事物存在」として扱うには無理があると主張したのをきっかけに、これまでの合理主義や、実存主義の対概念である構造主義に対する考え方も改まった。

 

ー決着がつかない「構造主義」VS「実存主義

 

とはいえ、合理主義と構造主義を2分する論争は今でも続いており、いわゆる宙に浮いた状態でまとまりが一向につかず、結論はいまだ出ていない。ちなみに、実存主義をもう少し噛み砕いて説明すると、人間は心がうつろいやすくそれこそ流動性に富んでいる、対して(人間が使う)モノは固定化された事物である。これを「本質存在」と定義し、あらかじめ決まった価値観や普遍性を求め、人間がそれに応じる形で晴れて「本質存在」としての役割を果たしたと定義する。本質存在と定義されるモノ(物質)は、明確化された理由や目的があり、それを実行するために必要な機能群を揃えている。

 

例えば、人間が使うスマホは事物としての存在であり、そこには「人間が利用する電話やサブスク、SNS」など、本質的な存在理由が明らかになっている。対して人間はどうか。「この人間はこうであるから、この人間もこうであるに違いない」と解釈するのは、合理主義に基づいた考え方であり、別の言い方をすれば「弁証法」でもある。しかし、人間は理性や科学的実証ではとらえきれない1つの現実存在(実存)であり、到底説明がつかぬものである。

 

また、仮に人間の本質をとらえることができれば、人間としての雑多性や個性を失うことになり、統一性・集団性のある人間社会になれば、戦争や自殺などのいわゆる限界状況は引き起こされないとされる。人間がまとまりのある1つの集団であれば、それは個の喪失であり揺るぎない普遍的なルールが敷かれた均質的な社会となりうる。その合理主義に真っ向から対抗したのがキルケゴールであり、彼が提唱した実存主義により18世紀の社会は大きな思想や価値観の転換を迫られた。

 

キルケゴールは非合理性を何より重んじ、本質ではとらえきれない人間としての存在価値や意義を認め、それを尊重し、個性を大事にすることで人間という1つの存在意義が成立すると力説した。それまでの世界では、天皇だったり朝廷だったり幕府だったり皇帝だったりと、トップに君臨する者が支配権を有しており、人間界を統一していたが、その結果、上のやり方に反旗を翻す国民がデモや暴動を起こし、社会的な革命を引き起こした点も、実存主義としての考え方が強く反映された結果といえよう。まさに非合理性とはその名の通りであり、合理的な説明がつかぬ人間の存在を「現実存在」として評価したことは哲学者として深い意義を感じる。