実存主義(2)

ー概要
 
実存主義は、18世紀に世を席巻した思想的潮流の一派であり、構造主義や合理主義、実証主義に対抗する形で頭角を表し、ニーチェサルトルキルケゴールなど知の巨匠らがこの思想を根幹として非合理性や人間としてのあり方、存在意義、無神論ヒューマニズムを提唱。人は、動く生き物、そして感情に流される生き物である。このような感情や動きの変化を、合理的という言葉で解釈するのは難しい。当時のヘーゲルが提唱した「弁証法」は、「〜だから〜である」という合理性を訴求したデカルトに通ずる思想哲学であり、当時の哲学者に大いに支持されたが、人間の根源的欲求の1つである「物欲」について疑義を呈したのが、ニーチェキルケゴールなのだ。
 
ー本質存在とは
 
例えば、そこに洗濯バサミがあったとしよう。このモノ(物質)の使用目的として、「洗濯物をしっかり固定する」というものが第一に挙げられるが、これはニーチェらの言葉を借用すると「本質存在」であり、「洗濯バサミ」という認識主体がはっきりしているからこその認識論である。明確な使用目的があり、そこに「洗濯物を固定する」という合理性を加味することで初めて合理主義は成立し本質をとらえた実証主義という見地からしても納得のいく説明だろう。しかし人間はどうだろうか。モノと同一視していい存在だろうか?その疑問を解決するために台頭したのが「実存主義」であり、その発起人となったのがキルケゴールなのだ。
 
人間とは、単線的進化を遂げたのではなく、あらゆるモノに囲まれながら複雑な生命プロセスを経て、さまざまな感情を形づくってきた。例えば、ロボットはどうだろうか。人間により製造され、ICチップを埋められ、人間となかんずく変わりない言語能力や感情表現を会得したが、これまでの人間の壮大な進化論をたどれば、ロボットの製造にかかる時間なんて少し痛い表現になるが10億分の1くらいの量だ。ヒューマノイドという言葉は知覚や知性を持ち、泣き笑い等の感情表現に基づいて人間の姿を模したロボットのことを指すが、そんな単純な話ではない。人間は、ありとあらゆる万物と単純不可分の関係にあり、内なる欲求、衝動、怒りなど「限界状況」と呼ばれる苦しいときに全ての感情を放出し、内なる欲求は再び心の深淵部へと向かい少しずつ蓄積されていく。そんな感情プロセスをロボットが果たして実現できるか。
 
ー人間の感情に勝るロボットキャラ
 
かの有名なヒューマノイド、手足が短く、胴体は丸みを帯び、しっかりと泣いたり笑ったり怒ったりなどの感情表現を実現できる「ドラえもん」というアニメキャラ。アニメに限った話ではないが、ロボットもときに暴発し、手がつけられないほどのクラッシュに陥ることがある。みーちゃんに振られてショックを受けヘソを曲げたドラえもんのび太の再三の依頼にも応じずいじけている様子。これは「嫉妬」という感情であり、この感情を表現できるのはアニメ世界に限った話なのだろうか、甚だ疑問である。情報端末やITの進化は止めず、常にアップグレードを繰り返している。シンギュラリティの波(ITによる支配)が到来するのは、そう遠い未来ではないかもしれない。