印象論

ー概要

 

印象論とは、対象物の詳しい原理や詳細部分に触れることなく、印象だけで対象物の本質を明かしていく思想的潮流です。例えば、目の前にリンゴがあった場合、「このリンゴの産地はどこなのか」「リンゴはどういう工程で作られているか」などいちいち意識せず、「あ、これはリンゴだ」と印象だけで判断すること。これが印象論です。いわば、哲学でいう「クオリア」に近いかもしれません。クオリアとは、ある対象物を見たときに自分が抱く「感覚的な質・フィーリング」のことを指します。先ほどのリンゴで例えるなら、「あ、これはリンゴだ。そして丸い。」というのがクオリアです。単なる一言に終わらず、自分が抱いたリンゴへの感覚を「丸い」と付け足すことで説明に厚みを与えています。

 

さらにクオリアには志向的クオリアという、ある対象物を指し示す意味でも使われます。「あれはリンゴみたいだな」「リンゴのような形をしているな」これは感覚的クオリアではなく志向的クオリアに分類されるもの。2つの区別が難しいですが、要するに対象物に対してある一点の感情が向くとき、それは「志向的クオリア」と呼ばれ、対象物を見たときに抱く感覚を「感覚的クオリア」と呼びます。両者の違いははっきりと押さえておいて損はありません。

 

印象論とはまさにクオリアに通ずる観念的・抽象的な論であり、具体的を求めず印象だけで判断する思想のことを指します。クラシック音楽を聴いて「いい曲だな〜」と思うのはただの印象論。そこに「なぜ、ピアノと弦楽器の音がこんなにも調和し、美しいハーモニーを奏でることができるのだろう」と具体的な論に終始すれば、それは印象論ではなく本質論です。つまり印象判断ではなく本質の深いところを見て判断する、音楽で言えば楽器の伴奏、コード進行、音階など様々な要素に具体性を求め、具体的な説明に終始する。これこそ本質存在としての意味を持ち、印象だけではとらえきれない対象物を認識主体として判断し説明を求める、そこを突き詰めていくのが神髄であり哲学の本流ともいえます。