神様は空想の世界だと言う人がいます
外界を見守り、我々の行動を決定づけているのが神様という人さえいます
こういった神様を絶対とし、神様を信仰する風潮は、キリスト教圏によく見られるものです
私は恥ずかしながら21歳のニートで、定職につかず、グータラしてばかりの節操のない毎日を送っているのですが、ここで神様がいて、良い仕事に巡り会えるようなお願いをすれば、私にも何か仕事が降りてくるのではないかって…
そうおぼろげな期待をしてしまう自分がいるんです
神様は自分の心の中にいて、いざ神様にお願いすれば助けてくれる
神頼みという、皮肉めいた言葉もありますが、何もかもがうまくいかず、やぶれかぶれの果てに、「神様、お願いします…。助けてください」と懇願した人は意外にも多いのではないでしょうか?
それほど神様というのは身近な存在になりつつあるのです
神様はいない、なんていう人もいます
勿論それは否定しませんが、私の住む鎌倉での伝統的な神社や仏閣に代表されるように、神に祈り、功徳を得るためお賽銭やお祓いをして、今後の運勢を良くしたいという人が大勢いるのも事実です
私は前まではそういった神への信仰や祈祷などの行為を、「迷信」「哀れな人」などといって馬鹿にしていました
しかし、神様は私たちの心の中にいて、いざという時に助けてくれる
どんなに頑張ってもうまくいかない、キャパ越えして思いっきり泣きたいとき、神様がつぶさに「大丈夫だよ。君の努力は必ず報われる」と言って、そっと手を差し伸べてくれる
そう考えたほうがロマンがあって素敵だと思いませんか?
延命長寿、夫婦円満、学業成就、無病息災…。あらゆる災厄を払いのけ、徳をもたらしてくれる、そんな神様の存在に私はほのかな希望を抱いております
「僕は将来どんな人間になるのかな」「仕事に就けずこのまま人生終えるのかな」と、まだ起きてもいないネガティブなシチュエーションを勝手に想像してしまい、憔悴する毎日
こんな毎日はもううんざりです
神様に頼み、良い仕事に巡り会えるようお願いをして、将来立派な仕事に就くぞ!という心意気を持ちたい
ネガティブな感情を捨てて前向きに考えられるようになりたい
神頼みでもいいじゃないですか
良い仕事に巡り会えない、そんなときは神様にお願いするのです
神様はきっとお願いをした人に対し、良い仕事に巡り会えるよう措置を講じてくれるものと思います
たとえそれが神頼みと揶揄されようとも、それで良い仕事に巡り会えるならそれでいいじゃないですか
誰にも迷惑をかけていないし、経済も回すことができる
正直他人にあーだこーだ言われる筋合いは毛頭ないのです
私の祖母は占い師をやっていますが、その鑑定によると僕は将来必ず良い仕事に恵まれ、明るい未来が約束されるとの事
それも以前の僕では「迷信だろ」と言って馬鹿にしていましたが、必ずしも運命と努力は比例しません
ときに、運命に身を委ねてもいいじゃないですか
”神様にすがる”というのは、いわばそういうことなのです