労働

ー概要

 

労働とは、その名の通り働くことである。職場や会社、コールセンターや施設など、あらゆる場所で身を削り、定時までみっちり働かされる人のことを一律に「労働者」もしくは俗な言い方で「社畜」と呼ぶ。また、より高尚なものとして、「俸給生活者」という呼び方も存在する。雇用形態は様々だが、一般的に1ヶ月で支給される給料やボーナスは、サラリーマンなら30万前後。フリーランスなら20万前後。非正規雇用者やワーキングプアなら10万前後といったふうに区別されている。(もちろん例外もあるが)

 

しばしば労働は「報われない作業」と揶揄されがちだが、そうではない。労働をしている人はしっかりと「勤労の義務」を果たしている、大変素晴らしいサービス精神の持ち主なのだ。経済も労働者や会社から搾取する所得税法人税などで賄えるし、経済再生の一翼を担う労働者は、決して「報われないもの」ではない。過労死ラインを遥に上回る労働をしていたとしても、それは自分の仕事に身を粉にして働いているという証拠であり、そういう人にはいつか「労災認定」が降るだろう。それまでの辛抱だ。

 

ー仕事にやりがいを持て

 

仕事というものは、どうしても辛いときがある。オフィス内で自分のPCを立ち上げ起動すると、そこには同僚が勝手にログインした形跡があり、不作為に圧縮されたファイルの中身が社内外に流出、プライベートな情報がダダ漏れになったという実例もある。その後、同僚は「不正アクセス禁止法」により検挙されたが、自分にとって知られたくないマル秘情報が大量に詰まっていたので、その人にとってはとんだ災難であった。

 

…とまあこのように仕事になんらかの差し支えが生じる場合、その仕事にやりがいを見出すことは難しいだろう。仕事なんてとっとと辞めてジョブチェンジするか、別の会社に転職して稼ぐか、はたまた復讐を試みてストライキを敢行するか。仕事を解雇させられた人には、主にこの3つの分岐点が生ずる。1番取るべき選択肢は、2一択だろう。1の場合、会社以外の仕事となればサービス業や製造業などの資本・労働集約的な仕事に限定されるし、それでなければ個人事業主フリーランス)として新たに仕事を始めなければならない。つまり裸一貫で始めるのと同じなのである。3は言うまでもないが、下手すればポリ公警察屋さんのお世話になるので本当に捕まっても誰にも文句は言えない。

 

ということで、消去法的に辿ると2が1番有効な選択肢となる。転職を何回もしていた場合、履歴書や職務経歴書に「〜を転職した」という記載をしなければならないため、若干の後ろめたさがあるが、これは致し方なし。間違っても経歴詐称なんてしてはダメだぞ。大手の求人サイトの募集要領には「中途採用可」「転職歴がある人でも大歓迎!」みたいな見出しがズラーっとのっているので、まずはそこに応募しよう。ただし犯罪歴がある人は例外。面接官に「この時期は何をしてたんですか。なぜ犯罪に手を染めたのですか。やる気はあるんですか。」などの圧迫面接を受けた挙句審査落ちというのはザラなので、あまり期待しないほうがいい。そういう人は自宅警備員になるか、ニート御用達のUber配達員にでもなるしかない。

 

ー日本の労働実態

 

日本はフルタイム労働に価値を置く傾向がある。コアタイムと休憩時間の区別ははっきりとつけ、汗水垂らして夜遅くまで働くことに価値を感じている(自分はそうは思わないが)。ちなみにシリコンバレーで働く日本人男性は、そういった日本の労働実態に「ありえない。このままじゃみんな死んじゃうよ。」と警鐘を鳴らしている。アメリカは日本に比べてホワイトな企業が多く、なんと従業員に食べ物や飲み物まで支給してくれるという、良心的な会社もあるとか。

 

日本の企業の多くはタイムテーブルも存在しない。始業時刻・終業時刻を定める割には、従業員のスケジューリングの調整もまともにできていない。アメリカの企業ではビリヤードや卓球台が置かれていることも珍しくないという。つまり、従業員の密かな楽しみとして用意されているのだ。これくらいの息抜きも必要なのだろう。まして1日中働きづめってのはちときつい。

 

アニメ会社マッドハウス従業員が、自社の雇用実態を語っていた。それによると、1日の労働時間が19時間を超えるという。もう過労死ラインをはるかに超過している。いつぶっ倒れてもおかしくない状態だ。しかも残業代は未払いのまま。もはやサービス残業である。自分の限界に直面したアニメーターは、ふとこんな疑問が浮かんだという。「なぜアニメが好きで制作しているのに、自分の仕事にやりがいや誇りを感じられないのだろう」

 

まさに本質をついた言葉である。仕事というものは本来、やりがいを持って取り組むべきものである。利にめざとい人間ならば、賞与やボーナス、給料だけでも満足だろうが、やりがいを感じない仕事にここまで体力を酷使する必要があるのか。そもそもなぜサービス残業長時間労働という悲惨な労働現場を目の当たりにして、誰も声をあげないのか。不思議でならない。結局、そういった労働条件が当たり前だと思ってるのだろう。ある学生が放った言葉「働いたら負けかなと思ってる」は、日本の将来性を危惧しての発言だったのかもしれない。当時こそバカにされたが、今ではあながち間違いとは言えない。彼は立派な預言者だったのである。