歴史

ーー概要

 

自分は今、中国の歴史を勉強しています

その理由として、今の国交関係や自由貿易などは、いかなる歴史を踏んで形成されたものなのか

それをはっきりと歴史を追いつつ確認したかったからです

そして今回、中国史を学ぶ上で重要ワードとなるのが「唐」と「隋」

中国の動乱を収め、中国初の統一政権を誕生させた2大勢力です

隋の後を継ぎ、天下を統一したのが唐です

遣隋使、遣唐使という言葉は1度でも聞いたことはあるのではないでしょうか

これは日本史でたびたび頻出するワードですよね

当時は朝貢と言って、貢物を中国に献上する見返りに冊封(さくほう)を受けるという恩賞が確約されていました

そのため、後ろ盾となる中国の随をまず味方につけることで、内部の混乱の鎮圧に死力を尽くしたのが当時の政府です

小野小町などは有名なはずです

聖徳太子からの勅命を受け、遣隋使として日本の海を渡り隋まで到達したのは功績以外の何物でもありません

海を渡る手段としては船しかなかったので、豪雨や落雷に伴う自然災害に悩まされました

また、その頃は新羅の魔の手が迫っていたので、遠征として多数の軍員を派遣しましたが、白村江の戦い百済含む日本の遠征は失敗に終わり、

この報を受け安全地帯の場所に遷都したという説もあります

百済は日本と特に交流が深く、日本に仏教文化を広めた国でもあります

その中には渡来人が混ざっていました(帰化人とも呼ばれます)

渡来人は耳にタコができるほど聞き慣れてると思いますが、

日本の仏教文化の形成に大きく貢献したという事実はあまり知られていません

渡来人の伝来により、多くの貢物が(当時の)大和政権に献上され、仏教文化が広まりました

また、文明も発達し、これまでの狩猟採集の時代は終わり、本格的な近代国家の前段階とも言える基礎を築いたのです

百済自身も発展し、加羅諸国も平定するなどその支配は長らえましたが、本格的に新羅高句麗の脅威が迫ると、その基盤は揺らぎ始めます

長く続いた百済の歴史は「白村江の戦い」の大敗によりついに終止符を打つことになったのです

…その後も百済の再興を求める運動は続きましたが、すでに強大な勢力を有していた新羅高句麗には意味をなさず…

そのまま衰退の一途を辿り滅亡しました

 

ーー最後に

 

とまあ、ざっくりした説明ですが、日本との交流文化があったという事実だけでもびっくりですよね

百済は韓国

隋・唐は中国

それぞれ反目し合うこともあったでしょうが、こうした昔ながらの交流が今の日本を形作ったといっても過言ではありません

先人様のご活躍に敬意の念を示すと同時に、中国日本が今後国交を回復させ、手を取り合って仲良し〜♬

みたいな展開になってくれることを切に願うばかりです